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東京地方裁判所 平成6年(ワ)20194号 判決 1996年12月17日

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

丹羽健介

佐藤米生

高畑満

加藤久勝

八賀和子

被告

東京都

右代表者知事

青島幸男

右指定代理人

小林紀歳

外三名

主文

一  被告は、原告に対し、金一五万円及びこれに対する平成六年六月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、主文第一項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告が金一〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、五九九万円及びこれに対する平成六年六月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、原告が、警察官の暴行により受傷し、逮捕の必要がないのに違法に逮捕されたとして、国家賠償法一条一項に基づき、被告に対し、慰謝料等の支払を求めた事案である。

二  争いのない事実等(認定事実には括弧内に証拠を掲げる。)

1  原告は、A株式会社の専務取締役を務める昭和二三年五月八日生(本件当時四六歳)の男性である。

水越一仁(以下「水越」という。)は、本件当時、警視庁築地警察署交通課交通執行係巡査長であり、白バイ乗務員であった。浅田和詩(以下「浅田」という。)は、同署地域課地域第四係巡査であり、森本明(以下「森本」という。)は、同署地域第一係巡査部長であった(証人水越一仁、同浅田和詩、同森本明の各証言)。

2  平成六年六月四日、原告は、乗用自動車トヨタ・クラウン(以下「本件車両」という。)を運転して東京都中央区銀座のいわゆる昭和通りを新橋方面から上野方面に向けて走行し、同区銀座八丁目一三番一号付近の信号機のある交差点(以下「本件交差点」という。)を通過した。

その後、水越が、白バイのサイレンを吹鳴して本件車両を追跡し、昭和通りの地下道内において本件車両を停止させた原告に対し、地下道の外で停車するよう指示した。原告は、右指示に従って、東京都中央区銀座一丁目四番五号所在の第二 五味ビル前(以下「本件現場」という。)付近車道の左端に本件車両を停車させた。水越は、本件車両の後方に白バイを停止させた。

3  原告は、右同日午後三時一五分ころ、道路交通法(同法一一九条一項一号の二、七条)違反の疑いで現行犯逮捕された(以下「本件逮捕」という。)。

4  原告は、右逮捕後、警視庁築地警察署に連行され、取調べを受けたが、同日中に釈放された。

三  争点

1  水越は、原告を突き倒す暴行を行い、原告に腰部打撲の傷害を負わせたか。

2  水越は、原告の右上腕を強くつかむ暴行を行い、原告に右上腕部打撲の傷害を負わせたか。

3  警察官は、原告がつかんでいる本件車両のエンジンキーの引き抜きを強行する暴行を行い、原告に左第二、第三指間及び同第五指挫創等の傷害を負わせたか及び右傷害と本件逮捕との先後関係。

4  本件逮捕は、必要性の欠如した違法なものであったか。

四  原告の主張

1  運転免許証を手交した経緯

原告は、平成六年六月四日午後二時二〇分ころ、本件交差点を通過した後、昭和通り地下道の東京都中央区銀座二丁目付近において、白バイに乗務していた水越から停車を命じられた。水越は、原告に対し、「信号無視、わかってるね。」と告げて、昭和通りを走行して地上に出るよう指示し、原告は、これに従って前進し、本件現場付近車道左端に停車した。

水越は、原告に対し、「免許証。」とだけ述べて運転免許証の提示を求めた。原告は、警察官の指示であるのでこれに応じ、水越に対して運転免許証を手渡した。

2  腰部打撲(争点1)

(一) 運転免許証を渡した後、原告は、水越が信号無視の嫌疑についてなんらかの説明をするであろうと思い、しばらく本件車両の運転席で水越を待っていたが、同人がなかなか戻ってこないため、本件車両を降車し、停車させた白バイのそばで書類を記入している水越のそばに歩み寄り、「私は違反はしておりません。免許証を返して下さい。」と告げて、同人から自分の運転免許証を取り返した。

水越は、これに対し、何らの説明もせずに無言で原告からその運転免許証を実力で取り戻そうとした。原告は、違反をしておらず、運転免許証を返して欲しい旨繰り返したが、水越は、ほとんど無言で、また信号無視という嫌疑についてなんらの説明を与えることも、原告の住所氏名を尋ねることもなく、ただ実力行使によって運転免許証の取り上げを強行しようとした。

原告は、本件発生の二日前にいわゆるぎっくり腰になっており、そのため水越に対して「腰を痛めているので乱暴しないで下さい。」と言ったが、水越はこれも一切聞かず、原告から無理に運転免許証を取り上げようとして、本件車両後部付近において、原告の胸部を突いた。そのため、原告は、腰から地面にたたきつけられた。

原告は起き上がることができなくなり、水越に対し、倒れた姿勢のまま救急車の手配を求めたが、水越はこれを全く無視した。

(二) 信号無視の嫌疑の場合においては道路交通法上運転免許証の提示義務はなく、原告が自己の行為の正当性の根拠を示した上で運転免許証を取り戻しているのであるから、運転免許証の提示を再度求めるのであれば、警察官としては嫌疑について説明し、再度運転免許証を提示するよう口頭で説得しなければならない。

ところが、水越は、任意の協力を求める行為を一切取らず、嫌疑の内容について説明がなかったばかりか、住所氏名の供述又は運転免許証の再提示を求めることもなく、積極的に反抗行為を行っていない原告から実力により強引に運転免許証を取り上げようとした。

このようにして水越が原告を突き倒した行為は、警察権の行使の範囲をはるかに逸脱した違法な行為である。

3  右上腕部打撲(争点2)

原告は、数分間たった後ようやく立ち上がれるようになり、自分で救急車を呼ぼうと考え、「救急車を呼ぶから一〇円玉を取ります。」と言いつつ、本件車両前部の小銭入れから小銭を取ろうとしたが、これに対しても水越は、ほとんど無言で、足で右前部ドアを開けさせまいと執ように妨害した。

さらに、原告が「公衆電話で一一九番に電話して、救急車を呼びます。」と言い、歩道上にある公衆電話に向かおうとしたところ、水越は無言で原告の行動をことごとく阻止しようとし、原告の前に立ちふさがり、原告の腕をつかみ、ついには本件車両に押し戻した。原告は半袖のポロシャツ姿であったため、このとき又はその後の警察官の暴行により、右上腕部に打撲傷を負った。

原告は、警察官と一緒でもよいので病院に行かせて欲しい旨頼んだが、水越はこれも無視した。

4  左手挫創等(争点3)

(一) このころには、警察官数名が到着し、原告を取り囲んでいた。

そのうちの警察官一名が、本件車両の外部から運転席側窓に手を入れ本件車両のエンジンキー(以下「本件キー」という。)を取ろうとした。原告が「取らないでください。」と言い、あわてて右前部窓の外から左手を差し入れ本件キーを押さえたにもかかわらず、同警察官は、強引に本件キーを引き抜こうとした。同警察官は、原告が「怪我をするからやめてください。」と制止するにも関わらず、なおも本件キーの引き抜きを強行し、これにより本件キーとキーホルダーをつなぐ金属製リングが破損し、この破損リングによって、原告は出血を伴う左第二、第三指間及び同第五指挫創等の傷害を負った。

(二) 右警察官が実力で本件車両の本件キーを引き抜いた直前には、原告は、前記のとおり、警察官同行でよいから病院に行かせて欲しいと申し入れており、また既に数名の警察官に取り囲まれていたのであるから、主観的にも客観的にも逃亡のおそれは存在しなかった。

右のような具体的状況下においては、右警察官の行為について、その目的の正当性並びに手段の必要性及び相当性は全く認められない。

5  本件逮捕の違法性(争点3及び4)

(一) 左手指の負傷の治療のため、原告は再度病院に連れていくことないしは救急車を呼ぶことを求めたが、これも無視された。さらに、警察官らは、原告が手にしていた黒のセカンドバッグを強引に取り上げようとしたため、右バッグのジッパーの一部が破損した。

警察官らは、原告に対し、「警察に来い。」と言い始め、原告は、その理由はないことから「どうしても行かなければならないなら、その前に弁護士に連絡させて欲しい。」と頼んだが、これも無視された。

警察官らは、午後三時一五分ころ、原告に対し、突然に「三時一五分、道路交通法違反で逮捕する。」と宣言し、原告を逮捕した。

原告は、逮捕後、築地警察署に連行され、午後九時一五分ころ釈放されるまで、六時間にわたる身体の拘束を受けた。

(二) 本件の場合、原告に対する嫌疑は信号無視という道路交通法違反行為に対するものだけである。そこで、その証拠資料として考えられるのは当該信号機の作動状況及び水越の目撃証言しか事実上考えられない以上、罪証隠滅のおそれはない。

また、原告には、事件当時、これまでに述べたとおり逃亡のおそれは全くなかった。

信号無視という違反態様は、一般交通情勢において大量、かつ、日常的に発生し、その大半は見過ごされているというものであり、その罪質は比較的軽微である。また、過去の一瞬の出来事であるから、違反状態が継続するというおそれもない。そのため、犯罪捜査規範においても交通法令違反事件の身柄拘束について特に抑制的であるべく規定されている。

本件交差点は黄色信号表示秒数の長さや形状から一般に信号無視違反が生じやすい信号設定であるが、その形状は丁字型であり、信号無視違反があった場合であっても事故が発生する可能性は低い。そのような場所で殊更に道路交通法違反の取締りを行う警察官としては、通常の信号無視に比して被疑者の過失の程度が低い可能性があることを考慮して、丁寧な対応をすべきである。しかし、本件における警察官の行為は、口頭による任意の説得ということを一切行わず、当初からただ実力によって原告の意思を抑圧し、その結果原告に傷害を負わせ、ついには現行犯として逮捕するに及んだものである。

以上からすれば、本件逮捕は罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれが欠如している違法なものであり、また、原告が侵犯したとされる罪質の軽微性に比べ、逮捕における人権侵害の重大性は均衡を失しており、本件逮捕が違法であることは明白である。

6  逮捕後の事情

原告は、築地警察署において、約一時間ほど取調べを受け、その際に住所氏名等の人定事項を供述した。

その後、原告は、午後四時ないし五時ころ、東京都中央区銀座<番地略>所在の木挽町医院において前記傷害の治療を受けた。原告は、腰部打撲傷が痛んだため、木挽町医院から築地警察署に戻るためパトロールカーに乗車する際、警察官に介添えを依頼したほどであった。

原告は、その後、築地警察署において道路交通法違反の被疑事実について取調べを受けた。その際、原告は、弁護士の名前を特定して連絡を取ることを要請したが聞き入れられなかった。また、原告は、取調べに当たった警察官に対し、自分の母親が介護が必要な状態であることを説明し、早期の釈放を訴えたが、警察官は、今帰らなければ命に別条がある状態かと尋ね、それほどではないとの回答を得るや、取調べを続行した。

また、警察官は、原告を釈放する際に、本件逮捕は原告が警察官に逆らったため自業自得の結果であるというような暴言を吐き、原告に精神的屈辱を与えた。原告は、逮捕により腰部打撲が悪化し、釈放後も築地警察署一階ロビーにおいて約一五分ほど休憩しなければ帰途につけなかった。

7  損害

(一) 原告は、警察官らの暴行によって前記のとおりの加療約一〇日間を要する傷害を負い、また、違法な逮捕により不当な身体的拘束を受け、これらにより精神的損害を被った。また、白昼、市民の面前で、このような人権侵害行為を強行され、原告の感じた恐怖感、屈辱感には計り知れないものがある。

原告のこのような肉体的及び精神的苦痛に対する慰謝料は、五〇〇万円を下らない。

原告は、本件訴訟の提起及び追行を原告代理人らに委任し、その費用及び報酬として九九万円を支払うことを約した。

(一) よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき右合計額五九九万円と、これに対する不法行為の日である平成六年六月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五  被告の主張

1  運転免許証を手交した経緯について

原告が本件交差点を通過した時刻は、午後二時五〇分ころである。

水越は、本件現場において、原告に対して、赤色信号無視であることを告げ、運転免許証の提示を求めたところ、原告は「すみません。」と言って運転免許証を差し出した。

2  腰部打撲について(争点1)

(一) 原告は、運転免許証を平穏に取り戻したのではなく、水越がこれをかばんについているクリップに差し込んで交通反則切符を作成していたとき、原告は、水越のそばに来て、同人が交通反則切符を作成していることを確認するや、いきなり同人から運転免許証を奪い取ったのである。

原告は、運転免許証をズボンのポケットにしまい、「ちょっと待って下さいよ。私は、前のタクシーについて走っていたのに何で信号無視なんですか。」などと言って本件車両に寄り掛かった。水越は、これに対して、原告が本件交差点を通過する際に赤色信号無視をしていること、そのとき本件車両の前にタクシーが走行していた事実はないことを説明し、原告の氏名等が分からなければ交通反則切符が作成できないこと及び道路交通法違反の事実は裁判所で争うことができることを告げ、運転免許証の提示を求めた。

ところが、原告が本件車両の運転席の方へ歩き出そうとするので、水越は、「ちょっと待ちなさい。」と言いながら右手を原告の体の前に出したところ、原告の脇腹が水越の右手に触れた。すると、原告は、いきなり大声をあげ、後ずさりして自らしりもちをつき、「警官に暴行された。助けてくれ。」などと叫んだ。

水越は、原告の横にしゃがみ込んで、原告に対し、静かにして運転免許証を提示するよう求めたが、原告は、これに耳を貸さず、金切り声をあげ続けていた。

(二) このように、原告主張の腰部打撲は、原告が自ら転倒したことによるものであって、水越の行為に違法性はない。

3  右上腕部打撲について(争点2)

(一) 座り込んでいた原告は、しばらくして立ち上がり、歩道上を上野方面に歩き出した。このため、水越は、「どこへ行くんですか。住所と名前を言いなさい。」などと言って、右手で原告の左上腕部を押さえて原告を引き留めた。原告は、「医者に行く。」などと言いながら水越の右手を振り払い、反対方向である新橋方面に歩き始めた。そこで、水越は、再度右手で原告の右上腕部を押さえ、「医者に行くのもいいが、現場を離れるのは信号無視違反としての取締りを受けてからにしなさい。」などと説得した。

水越は、たまたま歩道を通りかかった浅田に対し、築地警察署への応援要請を依頼し、このため、浅田は、この応援要請をした後、新橋方面に立ち去ろうとする原告の左腕を右手で押さえた。

(二) 水越及び浅田が原告の上腕部をつかんだのは、原告が容易に振り払える程度の強さであって原告の右上腕部打撲はこれによって生じたものではない。右水越及び浅田の行為は、立ち去ろうとする原告を説得するのに必要な範囲にとどまる有形力の行使であって、適法である。

4  左手挫創等について(争点3)

(一) 警察官数名が到着したのは逮捕後である。また、水越が本件車両の本件キーを取ろうとして原告がこれを押さえたのも原告を逮捕した後のことである。

水越は、後記のとおり、午後三時一五分ころ、原告に対し、道路交通法違反の疑いで現行犯逮捕する旨を告げ、右手で原告の右腕をつかんで逮捕した。

(二) 水越は、原告を現行犯逮捕した際、車両による逃走を防止するとともに、本件車両を差し押さえる必要があると判断し、本件車両の運転席の窓から右手を入れて本件キーを抜き取ろうとした。原告は、これに対し、「俺の車に何をするんだ。」などと言いながら、水越の右手首をつかんで引き、左手で本件キーを握り締めた。そのため、水越は、右手で原告の左手の甲を上からつかみ、本件キーを離すよう説得したが、原告は興奮した様子でこれに応じなかった。水越は、原告の左手から手を離し、「エンジンキーから手を離しなさい。静かにしなさい。」などと説得したが、原告は、なおも本件キーを握り締め、やがて「あーっ。」と金切り声をあげて本件キーを離し、右手で自分の左手首をつかんで、「怪我したぞ。」などと叫び始めた。

(三) このように、原告の左手挫創等は、原告の自傷行為によるものである。

5  本件逮捕の状況及び適法性(争点4)

(一) 原告が本件現場付近歩道を歩いて立ち去ろうとしたため、水越及び浅田が、原告の腕を押さえたところ、原告は、右両名の手を振り払い、足早に本件車両に戻り、運転席ドアを開けようとした。このため、水越は、原告の住所氏名が不明であり、逃走するおそれがあると判断して、本件車両と原告との間に入り、本件逮捕に及んだものである。

原告が本件キーを握り締め、左手に傷害を負った旨叫び始めた後、水越は、原告に対し、森本が乗務してきたパトロールカーに乗車するよう促し、原告の左腕をつかんで右車両に乗せようとした。しかし、原告は、腕組みをして両手を両脇に挟み、背中を本件車両に押しつけて両足をふんばり、乗車を強く拒否した。そこで、水越は、他の警察宮の協力を得て原告の両手首に手錠をかけ、パトロールカーの後部座席に乗車させた。

(二) 原告は、水越が運転免許証で原告の氏名、住所を確認していない段階で、右運転免許証を奪い取った。水越は、原告に対し、原告の住所氏名が分からなければ交通反則切符が作成できないことを述べたにもかかわらず、原告は、運転免許証を戻さないばかりか、嫌疑を否認し、その場から歩いて立ち去ろうとしたり本件車両に乗り込もうとしたのであるから、原告には罪証隠滅のおそれ及び逃亡のおそれがあったのは明白である。

6  本件逮捕後の事情について

警視庁築地警察署交通課交通執行係警部補平林茂樹が原告の弁解を聴取したところ、原告は、信号無視の嫌疑を否認し、東京清和法律事務所に連絡してほしい旨申し出た。そこで、警察官は、右法律事務所に電話をかけたが、誰も出ず、連絡を取ることができなかった。

原告は、当初、平林に対して住所氏名すら明らかにせず、その後も、取調べに対して非協力的な態度を取っていた。取調べの途中で、警察官らは、原告を木挽町医院に連行して診察治療を受けさせ、その後、原告の住所氏名が明らかになったことから午後八時四五分ころ原告を釈放した。その間、原告は、自己の母親の介護が必要である旨訴えたが、緊急な介護の必要性がある状態ではない旨述べており、平林が、原告を直ちに釈放するまでもないと判断したのは相当である。

警察官は、午後八時五五分ころ、交通反則告知書を作成し、原告にこれを交付した。原告は、右告知書に署名することは拒んだが、これを受け取り、午後九時二〇分ころ築地警察署を出た。

第三  争点に対する判断

一  水越は、原告を突き倒す暴行を行い、原告に腰部打撲の傷害を負わせたか(争点1)。

1  原告が路上に倒れるまでの経緯について

(一) 甲第一、第三、第一二号証、第一九号証の一ないし二三、乙第一、第三号証(写真番号1ないし9)、証人水越一仁及び同浅田和詩の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

原告は、本件交差点を通過した後、昭和通り地下道において、白バイに乗務していた水越から信号無視の事実を指摘され、地上に出るように指示されたので、これに従って前進し、本件現場付近車道左端に停車した。水越は、本件車両の数メートル後方の車道左端に白バイを停車させ、降車して本件車両に歩み寄った。水越は、本件車両の運転席に着席したままの原告に対し、運転免許証の提示を求め、原告は、これに応じて、水越に対し、運転席側の窓越しに自己の運転免許証を手渡した。

水越は、白バイの停車位置付近まで戻り、右車両のサイドバッグからいわゆる切符かばんを取り出し、原告の運転免許証を右切符かばんの上部に取り付けられているバインダーとかばんとの間に挟み、左手で右かばんをしっかり支え、これを台にして右手に筆記用具を持って交通反則切符を作成し始めた。原告は、運転免許証を渡した後、本件車両の運転席で水越を待っていたが、しばらくして、本件車両のエンジンをとめて降車し、水越のそばに歩み寄り、運転免許証をすっと抜き取った。水越は、まず違反日時及び場所を交通反則切符に記入していたため、右時点において、原告の住所氏名については確認していなかった。

水越は、原告に対し、運転免許証の再提示を求めたが、原告は、信号無視はしていないことを述べてこれを拒み、運転免許証をズボンのポケットにしまった。原告は、本件の二日前にいわゆるぎっくり腰を患い、本件当日はその治療を受けるため鍼灸院へ向かう途上であったが、水越に対し、腰痛で病院に行こうとしていることを述べ、交通反則切符の作成に協力することを拒否して、本件車両の運転席に向かって歩き始めた。そのため、水越は、原告の行く手に追いすがるように一歩踏み込んで右手を出し、原告の腹部を押し戻すようにしてさえぎった。

原告は、水越の右行為により、本件現場付近路上にしりもちをつき、腰部打撲傷を負った。

原告は、路上に尻をついて両手で体を支えた姿勢のまま、水越に対し、ぎっくり腰による腰痛が悪化したことを訴えて救急車を呼ぶよう求めたが、水越がこれに応じなかったので、付近の通行人に対して大声で救急車の手配を頼んだ。水越は、原告に近寄って、静かにするように声をかけた。

(二) これに対し、原告本人は、水越が原告から実力で運転免許証を奪い返そうとし、あげく運転免許証の引っ張り合いとなり、その最中に水越が突然原告の胸部を突いたために車道にしりもちをついたと供述し、甲第一二号証にも同様の記載がある。

しかし、前記認定のとおり、水越は、左手でいわゆる切符かばんをしっかり支えてこれを台にしてその上で右手に持った筆記用具を使って交通反則告知書を作成していた途中に、その切符かばんに挟まっていた運転免許証を抜き取られたのであるから、切符かばんと筆記用具で両手がふさがっていた水越が、とっさに運転免許証をつかんで引っ張り合いを行ったというのは不自然というべきであり、むしろ、運転免許証を抜き取った原告においてこれを直ちにポケットにしまい込んだのであり、原告は、運転免許証を取り戻すことができたので、腰痛で医者に行くと述べて運転席に向かって歩き始めた、そこで、水越が追いすがるようにして右手を出して行く手をさえぎったとの証人水越一仁の証言の方が自然というべきである。

また、原告本人は、しりもちをついた時に水越を非難したり抗議したわけではなく、同人に対して助けを求めて救急車を呼ぶよう頼んだ旨供述していること、また、後に到着した証人森本明が、原告から後記の指の傷害についての訴えを聞いたが、腰の傷害については聞いていない旨証言していることからしても、原告は、当時、水越が殊更に原告を突き倒したとの認識をもっていなかったことが推認される。

以上の各事実に照らせば、運転免許証の引っ張り合いをしている最中に水越が原告の胸部を突いたとの前掲各証拠は採用できない。

2  水越が原告の腹部を押し戻した行為の違法性について

前記認定の事実からすると、水越の右行為は、本件車両の運転席へ向かおうとする原告に対して、さらに交通反則切符の作成に協力を求めるために行われ、立ち去っていく原告に追いすがるようにして右手でその腹部を押し戻したという態様、程度のものにとどまるところ、原告は右行為の結果しりもちをついてはいるが、当時ぎっくり腰を患っており本件当日もその治療に行く途上であったのであって、これらの事実を総合すれば、原告は、水越に押し戻された際、ぎっくり腰の痛みのために足腰に力を入れることができず、これによってバランスを失して腰が砕けるようになってしりもちをついたことを推認することができる。

原告本人の供述中には、水越の加えた力が相当強かった旨の部分があるが、右推認に係る事実と乙第一号証及び証人水越一仁の証言に照らすと、原告本人の右供述部分を採用することはできず、水越の右行為は、通常、普通の健康体の男性が倒れる程度の強さであったとまで認めることはできないから、任意捜査について許容される限度を逸脱した違法な有形力の行使がされたことを認めるに足りない。

二  水越は、原告の右上腕を強くつかむ暴行を行い、原告に右上腕部打撲の傷害を負わせたか(争点2)。

1  甲第四号証、第一一号証の一及び二並びに原告本人尋問の結果によれば、本件で、原告は右上腕部に打撲傷を負ったこと、これは何者かに強く右上腕部分をつかまれたことによるものであること及び右打撲傷は原告が築地警察署に連行されるまでの間に、警察官のいずれかによって負わされた傷害であることが認められる。

2(一)  まず、証人水越一仁、同浅田和詩の各証言及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、しりもちをついてからしばらくして、自ら立ち上がり、歩道上を上野方面及び新橋方面に行こうとしたこと及び水越は、原告を追って、その右腕をつかみ、原告を立ち去らせまいとしたことが認められる。

このとき水越が原告の腕をつかんだ強さについて、原告本人は、前記右上腕部打撲傷は原告が本件現場付近歩道上を歩いたときに負わされたものであり、原告が、救急車を呼ぶために電話をかけに行くと説明しているにもかかわらず、水越は、これを押しとどめようとして、原告の腕を必要以上に強くつかんだ旨供述する。

しかし、原告本人尋問の結果によれば、原告本人はそのときは腰痛のために俊敏な行動がとれなかったことが認められるから、歩行速度はゆっくりしたものであったと解されるし、証人浅田和詩の証言によれば、原告が上野方向と新橋方向とを行ったり来たりしていたときの原告の様子は、水越において原告に対して何か説得するような感じであったというのであるから、右歩道上における状況は、被疑者である原告が急いで走り去ろうとしていたというような切迫したものであるとは認められず、水越が原告を押しとどめるため、打撲傷を負わせるほどの強さで腕をつかむ必要性があったとは考えられず、右事情と証人水越一仁の証言に照らせば、原告本人の前記供述部分は採用できない。

(二)  次に、乙第一号証、第三号証(写真番号20、21)、証人水越一仁、同浅田和詩及び同森本明の各証言によれば、原告は、現行犯逮捕された後も腕組みをするように両手を腋に挟み込んで抵抗する姿勢を示し、森本及び水越は、腕組みをしている原告の両手首をそれぞれつかんでふりほどき、水越が原告の両手首に手錠をかけたこと、手錠をかけられてからも、原告は、両足をふんばってパトロールカーに乗車することを拒み、森本及び水越が原告のそれぞれ右側及び左側に立ってその腕をつかみ、浅田が原告の背後から同人の腰を押して、力づくで原告をパトロールカーの後部座席に乗車させたことが認められる。

この点について原告本人は、現行犯逮捕を告知された後は抵抗する間もなく手錠をかけられてパトロールカーに乗車させられた旨供述する(甲第一二号証も同旨)。しかし、前記認定のとおり、原告は、いったん渡した運転免許証を抜き取って取り戻しており、その後は、後記のとおり、手指に傷害を負ったことを強くなじったりしているのであるから、原告は、本件被疑事実の存在及び本件逮捕に納得がいかなかったことが推認され、このことからすれば、原告が、現行犯逮捕を告知されたからといって全く抵抗する素振りを見せなかったとは考え難く、右事情と前記証人らが原告を乗車させる場面についてほぼ一致した具体的供述をしていることに照らすと右証拠は採用できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

右認定事実からすれば、原告が前記の右上腕部打撲傷を負ったのは、右のとおりパトロールカーに乗車させられる際に警察官につかまれたことによるものと認められる。

3  そこで、前記のように、森本、水越及び浅田が、原告を逮捕後、原告の腕をつかむなどして力づくでパトロールカーに乗り込ませる行為が適法であったかを検討する。

前記認定事実によれば、警察官らは、現行犯逮捕した被疑者である原告がパトロールカーへの乗車を両足をふんばって殊更に拒んだため、同人を警察署へ連行するため、その両腕及び腰に手をかけてパトロールカーに乗車させたのであるから、その際に原告に上腕部打撲傷を負わせたことは、相当な範囲の有形力の行使であって適法であると評価することができる。

4  したがって、争点2についての原告の主張は理由がない。

三  警察官は、原告がつかんでいる本件車両のエンジンキーの引き抜きを強行する暴行を行い、原告に左第二、第三指間及び同第五指挫創等の傷害を負わせたか(争点3)。

1  原告が受傷するに至るまでの経緯について

(一) 前記認定事実に加え、甲第二、第四、第一一号証の三ないし六、第一二、第一九号証の三四ないし四三、乙第三号証(写真番号13)、証人水越一仁及び浅田和詩の各証言並びに原告本人尋問の結果によれば、次のとおりの事実が認められる。

前記のとおり、原告は、水越の行為により、本件現場付近路上にしりもちをついてからしばらくして、自ら立ち上がり、歩道上を上野方面、新橋方面に何度か方向を転じて行こうとしたが、原告を追ってきた水越によって制止された。水越は、地区の警備に当たっていた築地警察署の巡査浅田がいるのに気付き、築地警察署に応援要請をするよう依頼した。原告が再び歩き始めたので、水越と浅田が原告を制止し、浅田は携帯していた無線機で築地警察署に応援要請をした。その間に原告は、歩道上で水越の手を振りほどき、本件車両に向かった。水越は、これを追い、先に回り込んで本件車両の運転席ドアの前に立ち、右手と右足でドアを押さえ込むようにして開かれるのを阻止し、開いていた窓に右手を差し入れ、キーボックスに差し込まれていた本件キーを引き抜こうとしてこれに手をかけた。

原告は、水越の右動作を見て、本件キーを引き抜かれまいとして、水越の腕の下側に左手を差し入れ、小指と薬指との間に本件キーを挟み込み、キーボックスに掌で蓋をするように手をあてた。

水越は、これに対し、キーホルダーをつかんで引っ張り、原告も本件キーから手を離さなかったため、その結果、キーホルダーと本件キーとをつなぐ金属製リングが破損した。右リングは、二重の環状のものであったが、キー側が固定されてキーホルダーを引っ張られたために棒状に伸びきり、キーホルダーと本件キーとが離れるに至った。

原告は、右リングが破損した際、その端により、左手の小指の付け根の甲側、薬指の掌側及び中指の付け根の各部分に打撲傷又は挫創を負い、右傷口からは出血があった。

本件キーのキーホルダーは水越が持ち、原告の手にはリングの伸びたものが残った。原告は、出血に気が付いてこれを水越に訴えた。

(二) 被告は、原告の左手指の挫創等は自傷行為に過ぎないと主張し、証人水越一仁は、原告が興奮した様子で本件キーをつかみ、水越は、原告の手を引き離そうとしたが、原告の力が強かったのでこれを果たせず、結局水越が手を離したところ、原告は、震えるほどの力で本件キーを握りしめ、その結果としてリングを破損したものであると供述する(同人の陳述書である乙第一号証及び同人作成の現行犯人逮捕手続書である乙第四号証も同旨)。

しかし、原告の負った傷害は、打撲傷のみならず出血を伴う裂傷であること及び原告の左手の甲側の部分にも及んでいることは、甲第一一号証の三ないし六から明らかであり、原告の左手の甲側部分に出血を見たことは証人水越一仁も認めるところである。このことからすれば、右傷害は、前記のとおり、リングの端が原告の手指の間から外側に引き抜かれた際に負ったものと考えざるを得ず、証人水越一仁が証言するように、単にリングを握り締めるという圧迫のみで右のような傷害を生じるとは到底考えられない。

そうすると、前掲各証拠はいずれも採用できず、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

2 右の事実によれば、原告がキーボックスを押さえているのに、水越が、本件キーのキーホルダーを引っ張った行為は、原告に対する有形力の行使であるということができ、原告が左手指に負った挫創は水越の右暴行行為によって生じたものであるというべきである。

3  そこで、水越の右暴行行為が違法なものであったかどうかについて検討する。

(一)(1) 原告の逮捕の時期及び状況について

甲第一二号証、乙第三号証(写真番号19)、証人浅田和詩の証言及び原告本人尋問の結果によれば、次のとおり認められる。

原告が、左手指に挫創等を負ったころ、浅田の応援要請を受けて、森本がパトロールカーに乗車して本件現場付近に到着した。森本は、浅田及び水越から報告を受けた上で、本件車両の運転席付近に立っている原告に近付いた。原告は、森本に対しても、出血している左手を示し、警察官によって怪我をさせられたことを声高に訴えた。森本は、原告の傷害を見て、早急に治療が必要な状況ではないと判断した。

森本及び他の警察官は、原告に対し、口頭で警察署への任意同行を求め、原告は、これに対し、左手指の挫創等を示して、先に救急車を呼んで病院に治療を受けに行くことを要求し、警察署への同行を拒んだ。そこで、森本は、原告に対し、道路交通法違反で現行犯逮捕する旨を告げた。森本は、水越に指示して原告の両手首に手錠をかけさせ、水越及び浅田の協力を得て、原告をパトロールカーに乗車させた。

(2) 右逮捕の時期及び状況について、被告は、水越が本件キーの差押えに着手する前に、原告に対し、現行犯逮捕する旨を告げたと主張し、乙第四号証の記載並びに証人水越一仁の証言及び乙第一号証にも同旨の部分があるほか、証人森本明も、本件現場に到着した際、水越から、既に原告を逮捕した旨の報告を受けたと証言する。

しかし、水越は、本件車両に向かった原告を追って先に回り込んで本件車両の運転席ドアの前に立ち、右手と右足でドアを押さえ込むようにして開かれるのを阻止したのであり、原告が水越に暴行を加えてまでドアを開けようとする状況であったとは認め難いから、浅田の応援要請を受けて他の警察官が到着するのを待って原告を現行犯逮捕すれば足りる状況であったものというべきであって、水越が逮捕前ではあっても取りあえず本件キーを抜いておこうと考えて本件車両内に手を伸ばしたとしても、さほど不思議はないように思われる。

これに対し、証人水越一仁は、前記のとおり本件キーの差押えに着手する前に原告に対し現行犯逮捕する旨を告げた旨供述する一方で、本件キーを差し押さえようとした水越の手首を原告がつかんで本件キーから離させられたが、原告が左手で本件キーをつかんでいるのを上から甲の部分をつかんで離させようとしたほかは有形力を行使せず、応援の警察官が到着するのを待って原告を拘束、連行しようと考えていた旨供述している。しかしながら、原告が左手で本件キーを押さえ付けているのを水越がキーホルダーを引っ張ったことは前記認定のとおりであって、既に原告を現行犯逮捕していたのであれば、これに伴い本件キーを差し押さえようとする水越の行為を妨害する原告に対し、そのような妨害行為をやめさせるためもっと直接に有形力を行使してしかるべきであり、それ故に証人水越一仁も右のとおり原告の左手の甲の部分をつかんで離させようとした旨供述しているものと思われるのに、実際にはそうではなく、水越はキーホルダーを引っ張っただけであり、原告を拘束するなどの有効な措置を執っていないのであって、いささか奇異の感があることを否めない。

また、証人浅田和詩の証言及び乙第三号証(写真番号13、16)によれば、浅田は、無線交信をしながら本件車両まで行き、原告を挾んで水越と反対側のごく近くに位置して原告と水越が本件キーの方に手を伸ばしているのを見ていたが、水越が原告に対して逮捕を告げた言葉そのものはさておくとしても、その後も水越から原告を現行犯逮捕したことを全く聞いておらず、原告に対する信号無視の被疑事実についても終始知らないままであったこと、以上のとおり認めることができるのであって、水越が原告を実際に現行犯逮捕していたのであれば、原告から出血を訴えられている状況の中で、すぐ近くにいる浅田に逮捕後の原告の妨害行為により起きた結果であると説明しないのは不自然であるといわざるを得ない。

さらに、前述のとおり、パトロールカーが到着してから、浅田及び水越は原告から離れて森本に対して報告をし、さらに森本は、原告から左手指の挫創等について聴取し、受傷の状況について見分しているのであり、証人水越一仁の前記供述どおりなら原告は公務執行妨害に相当する行為を行ったことになるのに、その間警察官が原告の周囲を取り巻いたり、原告の身体を直接拘束したりしていないということは、警察署へ連行すべく原告の逮捕に着手した後の状況としては首肯しかねるところである。

そして、証人森本明も、原告を逮捕済みである旨の報告を受けたと証言しつつ、水越と浅田とのどちらから右報告を受けたのか、どのような順番であったのか、右報告は具体的にどのような言葉であったのか等については明確に答えることができないのであって、事柄の重要性からすると理解に苦しむところである。

これらの点及び原告本人尋問の結果に照らせば、乙第四号証の記載並びに証人水越一仁及び証人森本明の前記各証言部分は容易に信用することができず、また、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  前記認定事実によれば、水越が原告の意思に反して本件キーの引き抜きを強行しようとし、原告に対して左手指挫創等の傷害を負わせた行為は、本件逮捕に着手する前にされた令状によらずに本件車両を差し押さえようとする行為であるとともに、原告の逃亡を実力で阻止しようとしたものであり、任意捜査として許される相当性の範囲を逸脱した違法な行為であるというべきである。

なお、右暴行行為については、逮捕する場合において必要があり本件車両を差し押さえたものとみることができれば、相当程度の有形力の行使が許されると考える余地があるが、前記認定のとおり、右暴行行為があったのは本件逮捕に着手する前であり、その後に原告は森本に対して左手指の傷害を負ったことを訴え、森本が右傷害の状況を見た上で、さらに警察官らが原告に対して任意同行を求め、原告がこれを拒んだという経緯をたどって本件逮捕に至っているのであり、右事実に基づいて考えると、本件逮捕は、原告が任意同行の求めに応じないために行われたものと解するのが相当であるから、右暴行行為は逮捕する場合に行われたものということはできず、刑事訴訟法上令状によらずに行うことのできる強制捜査と評価することはできない。

四  本件逮捕の必要性(争点4)

前記のとおり、原告は、水越に対し、一度は自己の運転免許証を手渡しつつも、その後、これを水越の承諾を得ずに取り戻していること、そのため、水越は、原告の住所氏名について確認しないままであったこと、原告は、歩道上で水越の腕を振り払って歩み去ろうとし、さらに本件車両に近付いたため、本件車両に乗って逃亡するおそれがあると見られてもやむを得ない状況であったこと、そして、原告は、本件の被疑事実を否認し、警察官らから任意同行を求められた際、先に病院に行くことを要求してこれを拒絶したことが認められる。これらの事実によれば、警察官らが、本件逮捕当時原告について逃亡のおそれがあるものと判断したことに過誤はなく、また、原告は、腰痛があったとはいえ、路上にしりもちをついた後も歩けないような状態ではなかったし、甲第一、第三号証、第一一号証の三ないし六、証人森本明の尋問の結果によれば、原告の負った腰部打撲傷及び左手指の挫創等は、本件逮捕の時点で、すぐにも診察を受けないと取り返しのつかないような結果を生じるほどの傷害ではなかったことが認められるから、本件逮捕に違法、不当な点はないというべきである。

したがって、この点についての原告の主張は理由がない。

五  損害

以上の事実によれば、原告は、水越から暴行を受けたことにより、左手に、出血を伴う第二、第三指間及び第五指挫創等の傷害を負い、精神的損害を被ったことが推認され、本件に現れた一切の事情を考慮すれば、右精神的損害を慰謝するには一〇万円をもって相当とすべきであり、本訴訟を提起し追行するに必要となった弁護士費用として五万円が右不法行為と相当因果関係にある損害と認める。

第四  結論

以上のとおりであるから、原告の請求は、被告に対し、一五万円及びこれに対する不法行為の日である平成六年六月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言及び仮執行の免脱宣言につき同法一九六条一項、三項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官髙世三郎 裁判官小野憲一 裁判官山口倫代)

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